不惑なはずの40歳が誕生日から人生をやり直すことを決意した件

こんな40歳になっているはずじゃなかった

f:id:keiji511213:20161214141945p:plain「四十にして惑わず」
という言葉がある。 「論語」の有名な一節。

「あれこれ迷うことがなくなった」という意味。
これは「狭い枠にとらわれることなく、自由に物事を見ることが出来るようになった」というような意味で、単純に「自分の道に疑いなく進む覚悟が出来た」という意味合いとは少し異なる。「何が起きても動じることなく、それを受け入れる自由さを持ちなさい」という意味。引用(「論語・為政第二」より)

不惑」(ふわく)の読み方すら怪しかった自分につくづく情けなくなるけど、40歳までに何とかしなければ・・というここ最近の焦りは自分でも危険を感じるほど異常だった。
‘何とかしたい’というのは、自分の「ふんどし」ビジネスが世の中の人に認められ成長させ継続させること。しっかりと世界に広がっていくこと。そしてそれに伴う経済的なリターンも得たいという個人的な欲望、理想と現実の乖離による焦り、、、。

子供の頃のイメージでは、40歳といえば仕事も人間関係も家庭も順調で、それはもう、もっくん(※)みたいなかっこいい大人になっているはずだった。まさかこんなにも毎日胃がキリキリと痛む生活を送っているなんて想像すらしていなかった。

外見だけでなく内面もきっと素晴らしいであろう理想の大人像の象徴として今回、もっくん(本木雅弘さん)を挙げています。

25歳から人としての成長がまるっきり止まっていた・・・

特にここ2年間は全てのことに焦り、苛立ち、いけないこととは判りつつも、周りが全員、争うべき敵のように見えてしまっていた。何でもすぐに人と比較してしまいその度に自分を責める。たとえ友人でも勝つか負けるか、儲かるのか儲からないのかの判断しかできない。何をしていても心から楽しめず、特に使命感を持って取り組んでいたはずの‘ふんどしを広めること’すら楽しめていなかった。


「このままではいけない!自分が変わらないと!」と何度も何度も思ったけど、日々の雑務をこなし、その日その日の売上が気なって気になってそれどころじゃなかった。そしてあれだけ目指していた販売数が伸びた時でさえ、安心を手にするのかと思いきやなぜかこの不安が膨らむばかりだった。本当に手にしたいもの、実現したい未来は実は違うところにあるのではないか・・・そう気づき始めた時、事件が起きてしまった。

自分の発言が原因で、大切な人たちの信頼を裏切るような不快な思いをさせてしまったのだ。自分のためを思って、様々なアドバイスを送ってくれる方たちの言葉全てが自慢話に聞こえ、自分を卑下しているように聞こえた。本当はそんなことは1mmも無いのに、彼らに対して反発し、信頼関係を壊してしまう発言をしてしまった。

誰もが抱える仕事以外のトラブル

実は2年前、ビジネスとは全く別のところで大きなトラブルがあり、その解決に向けて翻弄され心身共に疲弊しきっていた。誰にも言えない未だに終結しないその問題に向き合うたびに「何で俺だけこんな目に」という思いが強くなっていた。

だけど本当は皆誰だって大なり小なりそういう問題を抱えている。皆大人だから他人に言わないだけで、大人だからその影響を仕事に持ち込まないだけで、仕事以外のところでも苦しんでいることはあるのだ。皆大人だから、それも踏まえて前向きに生きているのだ。

40歳にもなろう大人の自分が、そんな当たり前のことを忘れていたことで大切な人たちを傷つけてしまった。考えたくはないが、おそらく今までだって知らず知らずのうちに、大切な信頼関係を壊していたことが多々あったのだと思う。個人的な焦りとか不安とかが頭を占領してしまい、本当に大切な人間関係やご縁を蔑ろにしてしまっていたこともあったと思う。今回の件を、過去を振り返り深く反省する機会と捉えることにした。ただただのほほんと歳を重ねて40歳にはなったけれど、中身は全く成長していないことを知れた。

一度失ってしまった信頼関係を再構築するのは難しい。自分が本当に変わり、時間をかけて少しずつ修復していくしかない。変わっていく姿を見せるしかない。そのために今日の40歳の誕生日から本気で自分自身を変える決意をした。これはラストチャンスだ。

その焦りは自分でなんとかできる

一体自分は何に焦っていたのか。

何に苦しんでいたのか。

イメージしていた理想の40歳とかけ離れてるから?

持ち家を持てないから?

年収○○○万円に到達してないから?

思うようにビジネスが拡大していかないから?

ふんどしが広まらないから?

本当はそんな小さいことではなくて、そんな小さいことをいちいち気にしてしまう自分のビジョンがぼんやりと弱いのだ。しっかり設定しきれてないのだ。
起業当初に持っていた大きな希望とか大きくて素晴らしい未来を創りたいという思いとか、今はそこに乖離があっても、何とか近づくために日々楽しく夢を語れていた自分を失ってしまっていることに焦っていたのだ。
道半ばでもここまでふんどしが広がっているのは、たくさんの人たちの応援の上に成り立っていることを忘れてしまっていた。人とのご縁や信頼関係よりも、とにかく数字で圧倒的な結果を出して証明することを優先してしまっていた。

自分は一体何と戦っていたのだろう。
自分の中にしかない焦りだ。これだと誰も幸せになんてなれない。そもそも自分の考える「幸せの定義」自体が間違っている。そしてこれは40歳になろうとする多くの人に当てはまることなんじゃないだろうか。

実は今、自分は幸せなんじゃないか説

f:id:keiji511213:20161214142034j:plain横浜から水戸に移住してもうすぐ2年になる。家賃(固定費)を下げたい、子供を自然の多い場所で育てたい。ネガティブもポジティブもある移住理由だったけど、今はこの決断が大正解だったと胸を張って言える。
とにかく良かったことは、子供と奥さんと3人で一緒にご飯を食べて寝て起きての生活ができていること。家族との時間を最優先にできていること。仕事の調整を自分である程度決められるからこそという部分はあるが、日々のささやかなことが楽しくて、この瞬間は、ふと本当は今が一番幸せなんじゃないかと感じることがある。達成したい目標があって、それに向けて家族が応援してくれる。贅沢はできなくてもじんわりと温かい暮らしがここにはあって、これ以上個人的な欲を望む必要なんて無いはずじゃないか。そしてこの小さな幸せの日常は誰にだって実は目の前にあるものなんじゃないか。結局は自分の捉え方次第なのだ。

誰かの為に自分に何が出来るのか

自分の中にある焦りと孤独に戦っているのは、本来持っていたはずの「誰かの為に」という精神が時間の経過と共に薄らいでいるからだと反省した。
家族だけじゃない周りの皆も応援してくれているのに、そのありがたい応援に対して一体自分は何かお返しできただろうか。。。。
周りにいてくれる人たちを自分から積極的にハッピーにしていけたら、それが一番幸せなはずだ。その方が結果的に、幸せに仕事の成果も連動していく

こんな当たり前のことを、目の前の「重要でもなく緊急でもない雑務」を一人で抱え込んだせいで見失っていた。ああ本当に情けないことなんだけど、だけどこのことに今気づいけたことはとてもラッキーなことだと思う。

40歳にして人生を変えたい男のこれから

人生を変えていきたい。
小さな日常に感謝できる幸せな大人になりたい。
39歳までの未熟さを理解した上で、これからは今まで以上に関わってくれる人に対して誠実にあること。自分の能力を積極的に社会に還元すること。
自分ではなく、他人のためにお金も能力も使うこと。
人間はすぐには変われないし変わることは難しい。それでもまだ40歳だ。

諦めるにはまだ早いし、同世代や自分より下の人たちが、迷える40歳になった時のロールモデルになれるよう、恥ずかしくもこれからのことをこのBLOGに綴っていこうと思う
40歳にもなってまだそんなことで止まってしまっているの?という不安を抱える同世代の人たちに、自分の事例を持って「俺(私)だって変われるかも!」を証明するのだ。そして少しでも誰かをポジティブに変えてみたい。
関わってくれる人たちを最高にハッピーにしていける、そんなもっくんみたいに大人な40代になってみせます!

最後に
>お友達の皆さんへ
もし僕が不誠実な態度や、傲慢に感じたら遠慮なく注意してもらえたら嬉しいです。そしてこれからも何卒、よろしくお願い致します。

中川ケイジ
(40歳の皆様 ご意見おまちしております。)